今は転勤族の妻という立場ですが、
独身時代から私自身も転勤族でした。
新卒で入社した当初は事務職。
ジョブローテーションで
入社4年目から営業職となってからは、
右も左もわからないまま
がむしゃらに働くばかり。
私が担当していた先には、
会社の古くからのお得意様もいましたが、
私の主な仕事は新規先の開拓、
つまり飛び込み営業でした。
一度見れば忘れられないほど
独特で印象深い制服を身に纏い、
先輩からのお下がりの
擦り切れた古びた鞄を抱えながら、
震えた手で名刺を差し出す毎日。
風除室のガラスに映る
自分の姿が惨めでした。
新規先へ向かう雨の日の複雑な気持ち
ある雨の日の朝。
ありったけの商品パンフレットを
鞄の中へぎゅうぎゅうに詰め込み、
いつものように新規開拓のため
会社を誰よりも早く出発。
黒いパンプスのヒールの音と
雨の音だけが響く田舎道を歩きながら、
今日こそは見込み先だけでも
数件見つけて戻らなければと
並々ならぬ闘志を燃やしていました。
ただ、そこはライバル企業が
猛威を振るっている小さな田舎町。
必死にもがいたところで、
結果はわかりきっているという
思いに駆られていたのも嘘ではありません。
新築の家を緊張しながら訪問
どこか釈然としない気持ちのまま
真新しいインターホンを
震えた指でそっと押してみました。
応答して欲しい気持ちと
留守であってくれという気持ちが、
心の中で入り乱れています。
2分ほど待ちました。
(・・・ああ、留守だ。)
顔にかかった前髪を払いながら、
ポストにパンフレットと名刺を置き
立ち去ろうとしたその時。
背中の方からギーッという
重厚なドアの開く音が聞こえてきます。
不思議な住人との出会い
新築のドアらしからぬ音に驚き
ふと振り返ってみると、
髪を一つに束ねた眼鏡姿の女性が
満面の笑みで立っていました。
今まで新規先を訪問した時には
一度も味わったことのない笑顔。
「あなた、若いわね。名刺はあるの?」
名刺を渡しながら
笑顔で丁重に挨拶してみると、
なぜか女性の表情は曇っていきます。
私の話し方が失礼だったのでしょうか。
それともライバル会社のお得意先で、
会社名だけで拒まれているのでしょうか。
胸の鼓動は激しくなるばかり。
女性は私の名刺をじっと見つめています。
(早く立ち去りたい・・・)
共食いだと忠告された
「あなた、鶏肉食べてるでしょ?」
私の顔をマジマジと見つめながら
女性はそう声を掛けてきたのです。
「顔色が悪いわ。共食いしてるからよ。」
共食い?
まるで理解できませんでした。
「あなたの前世は鳥なの。」
やばい!
やばい所に来てしまったと
気付いた時には時すでに遅し。
丁寧に姓名の字画の話を説明された挙句、
「あなたは鳥なのに鶏肉や卵を食べて、
共食いしているから体調崩しやすいのよ。
魚卵もだめ、あれも卵だから。」
という忠告を受けてしまったのです。
初対面のはずなのに、
体調を崩しやすいと断言される始末。
さらに唇が紫色なのは、
梅干しを食べないからだとも言われ、
「あなたはもっと自分を大事にしなさい。
次に来た時、詳しく鑑定してあげる。
鑑定料は1回5000円。
大丈夫、今日のお代はタダだから。」
再訪問しなかったのは
言うまでもありませんが、
2ヶ月ほど鶏肉を見る度に、
彼女の曇った表情が思い浮かび、
箸がどうしても進まなかったのは事実。
今は結婚し姓が変わったため、
当然、字画もその当時とは違います。
それでも体調不良が続く度に、
共食いを続けているせいだろうかと
未だにふと思い悩んでしまうのでした。